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もの凄い昭和臭。
知らずにみたら、社会科のビデオかと思えてしまう。
イメージ、見せ方というのはとても重要。



以下、壮大なひとり言。
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毎日色んなものを脳みそからこぼしていて恐い。
読み止しの本の存在だったり、講義の内容だったり、やろうと思っていたこと、言おうとした言葉……etc。列挙するとキリがないくらい次から次へと出てくる。
この散らかった部屋と同じように、ただただ見つけにくくなっているだけなのか、それとも色々なことをただただ後ろに流して何も留めず、何も考えずに生きてしまっているのか。

ちょっとよくなったかと思いきや、あっという間に下がり始め今や生きる屍のごとく低刺激な生活にぬるぬると。
だからかなー、最近カフェインに酔うのは。昔の人は玉露で酔っ払ったなんて言うもんね。

今読んでいる小説にこんな文章が出てきた
”そのあと、頭が奇妙に空っぽになたようにナッシュは感じた。何年かぶりに、子供のころときどき襲われたトランス状態に陥った――心のなかのバランスが突然崩れ去り、まるで周囲の世界から現実感がいっぺんいなくなったような気になるのだ。自分が影になったような、目を開けたまま眠りに落ちたような気がした。“ 『偶然の音楽』 ポール・オースター

まさにこの感覚なんだよ。コーヒーを飲まなくてもしばしば陥るんだけど、コーヒーを飲むとかならず感じる。
足元がふわふわとして現実感がスッと一段回引っ込んだような、意識が遠のく過程で止まってしまったような。
そして自分が少し高いところ、小説で言うとことの神の視点にほんの少し近づいて見ているような奇妙としか言えない感覚。
熱に浮かされている時にも少し似ているかもしれない。
脳みそから変なモノでもでているのだろうか?


長風呂というよりかは、長シャワーなことが多い。
頭や肩にサーっと水滴が当たっているのを感じると、徐々に洗うことを忘れ物思いに没頭してしまう。
頭の中に野原が広がって地平線に向かって脈絡もなく曲がりくねりながらも小道がずっと続いていて、それをひたすら辿っていく。
昔からなぜか自分のもの思いにそんなイメージを当てはめてきた。
始めから道が決まっているとは思わないけど、辿っているという言葉がしっくりくる。脈絡はないように思えても、どこかで繋がっている。

シナプスのイメージか。
幾重にも枝分かれして細胞同士と連絡している、そのイメージがどこかにあったのかもしれない。
何億何兆通りもあるなかから偶然に選び出された一つの通り道を辿っているのかもしれない。

そうしていると思い出すことが多い。あぁ、あんなこと考えたっけ。あんなことしちゃったな。あれをやりたかったんだ。
「こんなにも、こんなことも、こぼれてしまっているのか!」とがっかりする。

けど、書いている間に思ったのだがこうやってシナプスを辿って出てくるってことは、決してこぼれてしまっているわけではないんだね。
ちゃんと仕舞われているんだ。
ただ、整理ができていないだけ。表層が濁ってしまっているだけ。
そう思うと少し元気が出てきた。

いい加減言い続けているが、まずは『部屋』の掃除から、か。
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